県立福岡高校・音楽専任教師の江口保之先生はこよなく白秋を崇拝していました。白秋の初の詩集「邪宗門」に魅せられ、20代の後半より巻頭「邪宗門秘曲」の旋律の想をあたため、曲に書き上げたのは78歳の時でした。9分39秒の大曲です。日本歌曲最大級の作品です。

私は高校1年のとき私の歌唱を褒めてくださった先生の言葉でボクシング部から音楽部へと転部しました。その時から白秋の詩の世界への旅が始まったのです。

歌い続けるうちに「この道」「からたちの花」に一ヶ所ずつ過去形があり、その過去形に意味があることに気付きました。

「城ヶ島の雨」はその時の白秋の心境がそのまま表現されている、童謡をうたうとき白秋の言葉は絵巻物として描かれ、物語として展開する…そのすべてに一貫するものは韻律の調整と言葉の精錬であり、そのため推敲に推敲を重ねていることも知りました。

私は可能な限り反復練習をしなければとの思いを深くしました。

白秋生誕120年のときは記念に「五十音」「お祭」「良寛さま」「吹雪の晩」を平野淳一さんに委嘱して発表しました。

生誕130年の今回は白秋の詩28編の曲を顕彰の思いを込めてCDにしました。その作業の中で草野心平が白秋について書き残した

(…あの旺盛な詩、旺盛な短歌、その交錯、詩歌人、他にゐるかな、こんな詩人。ゐない。)

(色んな色、匂ふ色彩。動植物・人間、泪ボウダ。)

(若い文学の友よ、どうか白秋を読んでくれ、その厖大さに遠慮なく驚いてくれ。)

…の言葉を思い出すのでした。