白秋・芭蕉から西行への系譜

平成10年(1998)~11年(1999)にかけて、北原白秋の処女詩集『邪宗門』から二八篇の詩を選んで歌曲を作曲された、福岡高校入学以来の恩師江口保之先生(1918-2000)は、生涯、白秋を敬愛されていました。

思えば、先生の最後の日まで、薫陶を受けた私が白秋に傾倒したのも当然でした。機会ある度に白秋を歌い、先生の歌曲集『邪宗門』からも八篇を選んでCDを作らせていただきました。

白秋は、歌集『雀の卵』の大序で、「つくづく慕わしいのは芭蕉である」と述べていますが、「海は荒海、向こうは佐渡よ」の砂山においてその詩魂は、『奥の細道』における「荒海や佐渡に横たふ天の河」の絶唱に寄り添ったものだと思いました。

そこで、『奥の細道』から十一の句と紀行文を選んで、平成十一年、友人の作曲家平野淳一氏に作曲を委嘱しCDにしました。

このCD製作の過程で、芭蕉の「みちのく」への行脚は西行の五百回忌に当たり、歌枕を尋ねる旅とはいえ死をも覚悟の法要行脚であったこと、また『笈の小文』の序には「西行の和歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、其の貫動(くわんどう)する物は一なり」とあって、芭蕉は西行の和歌に自らの求めるものを見出そうとしていたことを知りました。

年たけて また超ゆべしと思ひきや
いのちなりけり 小夜の中山

風になびく 富士のけぶりの空に消えて
行方も知らぬ わが思ひかな

この二首に心を惹かれ、これを中心に十一首選んで、作詞を鶴岡千代子先生に、作曲を岩河三郎先生にお願いしました。

西行の人物像の複雑さと陰影の深さに試行錯誤を繰り返しながら歌曲集『西行歌遍路』は完成いたしました。

このCDは2002年10月19日、銀座ヤマハホールにおける委嘱発表リサイタルの後、12月10日に収録したものです。

鎌倉時代、六十九歳の西行が東大寺再建の砂金勧進のため、陸奥(みちのく)への旅中に詠んだ和歌二首を、八百十六年のときを超えた今、六十九歳の私が歌曲として歌う不思議な縁に心を込めて録音しました。

ここにあらためて、二年余にわたり、私なりの西行への思い入れをご理解いただき作品としてくださいました鶴岡千代子、岩河三郎両先生に深く感謝申しあげますとともに、歌曲集『西行歌遍路』が日本文化の大切な伝承の一つとして、歌い継がれていくことを心から願っております。

平成14年12月28日
山本健二