作詞の加藤まさをは立教大学在学中、療養のため千葉の御宿に滞在した。その時の海岸の砂丘からイメージを膨らませこの詩を書いた。作曲の佐々木すぐるは浜松より作曲家を志し上京、この詩にめぐりあい作曲し、これをひろめるため当時東京に600~700校あったという小学校にガリ版刷りの楽譜を自ら配ってこの歌を広めたという。

「沙」には「すなはま」の意味がある。