白秋(26歳)刊行第2集「思ひ出」の末尾に、48の詩篇よりなる「柳河風俗詩」と題する章がある。この組曲は、その中より“柳河・紺屋のおろく・かきつばた・梅雨の晴れ間”が選ばれ構成されたものである。

「思ひ出」には「わが生ひ立ち」という序文がある。上田敏がこれを読んで落涙したという。

“時は逝く、何時しらず柔かに影してぞゆく”の詩片で始まる。“時は過ぎた。……愛着を寄せた私の幼年時代も何時の間にか慕わしい「思ひ出」の愛歡となつてゆく。…この小さな抒情小曲集に歌われた私の15歳以前のLifeは…”と続く。

序文の内容は、詩集「思ひ出」の地下水脈となって流れている。これを足掛かりに組曲四篇の理解を深めたい。

「柳河」

“私の郷里柳河は水郷である。さうして静かな廃市の一つである。”「わが生ひ立ち」のなかの一節である。

銅(かね)の鳥居・欄干橋・遊女屋(ノスカイヤ)など三柱(みはしら)神社参道入口のたたずまいは全て静寂の中にある。乗合馬車は止り、馭者は喇叭を口から離し夕日に手をかざしている。この静的広角の展望は一転、遊女屋(ノスカイヤ)裏の縁台(バンコ)へと絞られる。

場面は哀れを誘う継娘(ままむすめ)の悲しみの描写となる。母の形見の小手鞠を泣きながら巻いている。継娘の律動的な動きは徐徐に加速され、やがてあたりを動的風景へと導いていく。

“三味線の音が聞こえるでしょう、かいつぶりが潜んだり浮いたりしているのが見えるでしょう”と旅人へ呼びかけ、馭者は喇叭を鳴らし、乗合馬車は動き出す。

どこか遠くで子供達のわらべ唄も聞こえる。廃市は再び息吹を蘇らせる。

「紺屋のおろく」

“おろく”という名の染物屋の娘、15歳前の白秋にとっては成熟された魅惑的な存在。性の誘惑にかられながらも、わけもない憎しみ、“あん畜生”と言ってしまう倒錯する少年の心理。白秋にとってどうすることもできぬ“おろく”は猫をかかえ、筑前しぼりの着物を着てしゃなしゃな歩く。染めの仕事で染まったのであろうか、濃青(こあお)の指さきも妙になまめかしい。

その“おろく”が猫を抱いている、何ということだ。嫉妬と憎悪に陥った白秋は“猫とあん畜生”が真っ赤に染まった有明の夕日の美しさに、ふと心が動かされて潟に陥って死んでしまえばよい…ホンニと呟いてしまう。

サディスティックな少年期の心の内面をうかがわせる。

「かきつばた」

日本近代文学大系(角川書店)北原白秋集にある注釈によれば、“昼はOngoの手にかをり”は、昼は良家の娘たちに触られた意で、喜びの暗示。“夜は萎(しお)れて…泣きあかす”は痴情を思う悲しみの暗示とある。では喜び、悲しんでいるのは誰なのだろうか。

それは冒頭にある“柳河の古きながれのかきつばた”である。この五・七・五の俳句のリズムを伴ったフレーズは“柳河に古く代々続く北原家”を表すもの。かきつばたは北原家を意味するとともに、ここではトンカジョン(長男)である白秋自身を指すものであろう。

ちなみに北原家の家紋は「花菱」で菱は一年生の水草である。このことからも掘割の流れにある「かきつばた」で北原家を象徴したものと推測される。

それにしてもこの喜びと悲しみのなんとたわいなく入れ替わることか。そのことを鳰(かいつぶり)のあたまが夕日に照らされ赤く染まって火がついたように見えたと思ったら、潜ってすぐ消えたと、いとも簡単に変わってしまうことを子供達の囃詞(はやしことば)にのせて自嘲的に表現している。

「梅雨の晴れ間」

終曲“梅雨の晴れ間”は五節より成るが、各節の歌い出しは全て“廻る”ではなく“廻せ、廻せ、水ぐるま”で始まる。

水ぐるまはかつて柳川ではどこにでも見られたものである。今は電動ポンプに代えられ姿を消したが、柳川市立図書館に併設された「アメンボセンター」で模型を見ることができる。

固定されたものではなく、人が持ち運びして、田畑に溜った水を掻き出したり、日照りに掘割の水を田畑に入れたりするもので、長い竹竿を両手に持って体を支え、水ぐるまの羽根板に足をのせ、交互に歩くように体重をかけて廻すのである。従って廻せの表現はこの足踏みを念頭に置くべきであろう。

第1節は役者の化粧と荒事の所作、第2節は芝居小屋の外、第3節はお客も舞台も共に楽しんでいる様子、第4節は芝居小屋の中、第5節は第1節と同じ役者の化粧と荒事の所作に戻る。

梅雨の晴れ間のひとときを役者・芝居小屋・観客が共に楽しんでいる様子が絵巻物を見るが如く描かれている。

白秋の詩には童謡など絵が浮かんでくるものが多い。「あわて床屋」「アメフリ」「待ちぼうけ」「かやの木山の」などである。

声は絵筆、メロディー・リズム・ハーモニーは多彩な絵の具。歌い手はホールというカンバスに向かって上質の絵の具で音を伴った絵を描いていくことになる。

「柳河風俗詩」という音楽絵巻物を。

2012年9月27日 記 山本健二