声楽家・合唱指揮者 山本健二
「Latvija」日本ラトビア音楽協会ニュース第10号2008年1月発行に掲載

ウィーン経由でリガ(ラトビア首都)へ行く。雲海をプロペラでかき分けるように着陸する。

カッタイ先生とアイラさんとは2年ぶりだ。85歳になるカッタイ先生は相変わらずかくしゃくたるもの。アイラさんも相変わらず美しい。

川幅いっぱいに水を湛えて流れるダウガワ川の橋を渡る。橋の長さは1000メートルを超える。ここからの眺めは絵葉書そのものだ。その絵の中に入っていく。車で一気に渡るのは惜しいが歩くわけにもいかない。渡ると右手に宮殿のような大統領公邸があり、ラトビア国旗と大統領旗が翻っている。大統領は本日リガにおられるのだ。

旧市街は形と彩りの個性的な建物が共通の美意識のもとに、石だたみの道を囲み込むように肩を寄せ合って並んでいる。私は絵葉書の中にいる。2年前もそう思った。石だたみの石はどれも丸く、その丸みは幾万々というリガの人々の足が撫でた丸みなのだ。私の肩の横をヒップが風を切って追い越した。世界のトップクラスのモデルの多くがラトビア出身だという。長い足といくばくの上半身の上に小さな顔がある。女性を下から見上げる日々が始まった。

今回、日本の歌を指導する対象はジンタルスと、そのジュニアクラスともいうべきリガ大聖堂合唱学校少女合唱団である。といっても5~9年生の中にはもう見上げる子供達もいる。しかし3~4年生は本当に可愛い。私を見上げてくれる。神様はバランスを取ってくださる。

練習が始まった。美しい声だ。音程も気持ちよいほどの正確さで全員が同じピッチの感覚を持っている。しかし言葉の壁は厚かった。いかにも外国人が日本語を歌っている。アイラさんは練習が始まるまでの打ち合わせではかなり日本語の歌い方に自信を持っていたようで、ジンタルスの落葉松とあと2曲は自分が指揮すると言っていた。しかし発音を直し、日本語の歌唱法(歌唱技術)を逐一直していくうちに、文化の違いが大きいのでジンタルスの落葉松を含め、演奏会の日本語の歌の全ての指揮をお願いしたいと言い出した。

一曲ごとに発音を厳しく直し、詩の背景にある日本人の心情、日本の風景、自然と日本人の一体感などを細かく説明し、言葉の意味を伝え、その言葉の情感に合う歌い方を歌って聞かせ、それを真似させた。しかし予定された練習時間では仕上がらない。文化の違いとはいえ、あまりにも日本語の歌唱に対する認識が甘すぎた。こんな甘い認識では、日本語の日本の歌の演奏会はやれないとまで言った。クラス単位の練習、公開レッスン、リハーサル、それぞれの時間を延長することで私のボルテージは平静を取り戻した。

問題点は、(1)発音で顕著な違いは「エ」が「イ」になる。(2)楽譜上のひらがな(ローマ字)で例えれば、「たとうべき」とあれば歌唱では「たとーべき」と歌うものをローマ字通り「tatoubeki」と歌う。実際には「tatoubiki」となる。しかしこれなどは、私の「花」を収録したCDを送っているのだから聞いていれば直っていてしかるべき。(3)日本語の歌詞と音符上の割り振りがうまくいかない…落葉松の「から」が8分音符二つの1拍で、「まつの」が三連音符の1拍となっているが、日本語である故と思うが、うまく収まっていかない。私は歌って聞かせ真似させた。流石にジンタルスはどんどん直っていく。(4)あとは日本語の言葉に合った情感の歌唱表現を聞かせ、真似させるだけだ。

外国語の会話の習得、音楽の歌唱や楽器の全ては、先生が歌い、弾き、奏して、それを真似させることから始まる。合唱も声楽であれば例外ではない。私は3〜4年生クラスからジンタルスまで、繰り返し歌って繰り返し歌わせた。子供達もジンタルスも私と一体になって日本の歌の音楽作りに励んでくれた。特に嬉しかったのは、「肩たたき」「雨ふり」を子供たちが家に帰ってからも熱心に自習してくれたことだ。それは親から学校に、子供がこんなに家で繰り返しているのは珍しいという電話や、親が学校に来た時にこのことが話題になったという。この二曲を歌ってくれた子供達はいつまでも懐かしく歌ってくれるだろう。落葉松はジンタルスの主要なレパートリーとして世界各地で演奏されるだろう。

約130年前、日本に導入されたスコットランドの民謡は、今は日本の歌になっている。それらは日本の風土に同化され、独自の音楽(唱歌・童謡)を創り出した。自然と共に生きてきた日本人の感性が歌い込まれている。自然を征服してきた人々に、日本の歌を広めるべき時が来たと思う。今回のプロジェクトがその先駆けとなることを祈っている。

演奏会終了後、ステージで音楽学校の校長先生から額入りの立派な感謝状を戴き感激したが、それ以上に嬉しかったのは、3~4年生の子供達が自分で描いた絵や自分で作った粘土細工の花などをプレゼントされたことだった。素朴な贈り物ではあるが、心の交流の表れとして、子供達からの心の勲章として受け取った。演奏会場はアメリカ・ブッシュ大統領や天皇皇后両陛下がラトビア訪問の際の晩餐会が行われたホールで、中世にタイムスリップした雰囲気で音も柔らかく響き心地良く彼女達も感動的に歌ってくれた。定員240の席は満員、更に壁際にもびっしり席を追加するほどの入りだった。

この報告は帰りのフライトの中で満ちたりた気持ちで書いている。最後にこのプロジェクトをご支援下さった方々に厚く御礼申し上げます。またプロジェクトの実務を担当され、お世話になった加藤専務理事並びに自国語の如くラトビア語の通訳をして下さった堀口さんにも御礼申し上げます。