露風5歳のとき、父母が別れ母かたは実家へ帰ります。

幼い日々、露風は母の実家へ通じる紅葉谷で遊びながら母の帰りを待つのでした。

18歳のとき再婚した母から巻紙で便りが届き、その中に空白があり「汝の頬を当てよ、妾はここにキスしたり」と書かれていました。露風はその巻紙を抱きしめ号泣したのです。

露風72歳のとき母かたは90歳で亡くなりました。遺族にお願いして母の亡きがらのわきで一晩添い寝をさせてもらいました。

露風の詩歌集「夏姫」(16歳のとき出版)のなかに「母と添い寝の夢や夢」というのがあります。

5歳で母と別れた露風にとって、この夢は67年後に果たされたのです。

「赤とんぼ」が母という言葉のない母恋い歌といわれるのは、このような背景があるからなのです。